工業高校機械科の出身です。工業高校に進学した理由は、オープンキャンパスで旋盤を見て一目惚れしたから。金属はグレーなのに、削りかすはキラキラと七色に光るのがすごい!と感動。旋盤に触れるのなら、と思って工業高校に進学したのです。
神奈川大学の機械工学科に進学したのは両親も神奈川大学の出身で親しみがあったことと、オープンキャンパスで、機械解剖の授業があると聞いて面白そうと思ったことや、実習が多く、機械について幅広く学ぶことができそうだと思ったことが理由です。
入学するとすぐに実習が始まりましたが、旋盤や溶接、熱処理など、高校の時に学んできたことばかり。特に旋盤は得意中の得意。みんなは機械が音を立てて回るのを見て怖がっていましたが、私には慣れたもの。「まかせなさい!」という感じで、頼まれてもいないのに人に教えたりしていました。
旋盤は検定があり、資格取得のための集中講座などサポートもあります。私は高校で3級まで取っているので、卒業までに2級を取りたいですね。
旋盤の実習では余裕でしたが、その一方で勉強では苦戦。物理や微分積分、幾何学などは工業高校ではしっかり学んできていなかったので、他の人にとっては“高校の復習”でも、私にとってはすべてが“初見”。絶望的になりました。
でも、学習相談室でアシスタントティーチャーが丁寧に教えてくれたので、そこに通い詰めてなんとか学科はクリアしました。友達にもノートを見せてもらうなどして、とても助けてもらいました。
機械工学科では学習面の手厚いサポートがあるので、工業高校出身で、「大学の勉強についていけるかな」と不安な人には、「心配しなくて大丈夫!」と言いたいですね。
実習は楽しくて大好きでしたが、失敗もたくさんしました。溶接で箱を作ったら接合がしっかりできていなくて水漏れをしたり、パソコンで組んだプログラムでNC工作機械を動かして金属を削るという授業では、思ったような形にならなくて「なんでこんな形に!?」と驚いたり。
「機械解剖」では、エンジンを分解して再び組み立てるのですが、ちゃんと手順通りにやっているはずなのに、「なんでここから!?」というような場所からガソリンがもれたり、組み立てたもののエンジンが動かなかったり。
でも、実体験に勝るものはなく、座学だけよりははるかに多くのことが学べたと思います。理屈ではわかっていても、思い通りにはいかないことも学びでしたし、機械解剖は、実際に分解してみたからこそ、一つひとつの部品の役割や構造の理解が深まりました。
機械工学科の授業は、グループワークが多いのも特徴です。入学して間もない頃、泊まりがけの研修があり、ほとんど初対面の人同士でグループになり、チーム対抗で紙で橋を作り、その強度を競うという実習がありました。
機械工学の基本となる「材料力学」、「流体力学」、「熱力学」、「機械力学」の4力を競技形式で楽しみながら学べたことはもちろん、このおかげで、すぐにみんなと仲良くなれたのは良かったなと思います。
また、何度もグループワークをするうちに、自分の特性もわかってきます。どうやら私は人から話を引き出すのが好きらしい、とわかってからは、話を回す役に徹していましたね。適材適所ではないですが、それぞれが得意なことを持ち寄って協力するということも学びました。
いろいろな実習を通して、「自分はプログラミングや設計よりも手を動かして物を作る方が好き」ということもわかってきました。
4年次には、由井明紀先生の精密加工学研究室を選択。水中ソーラー発電が研究テーマです。水中ソーラー発電とは、水中にソーラーパネルを浮かべて発電するというもの。陸上ではソーラーパネルの設置場所の確保が難しいため、水上にソーラーパネルを浮かべて太陽光発電を行うという新しい試みです。
そのときに必要となるのが、フジツボなど海洋生物の付着をできるだけ抑えるアクリルパネルの加工です。硬いアクリル板の表面に、レーザ援用ダイヤモンド切削機という機械を使ってごく細かい凹凸をつけていく作業をしています。凹凸をつけすぎるとアクリル板の透明度が下がって発電効率が悪くなったり、削りすぎて割れてしまったりするので、いかに透明度と強度を保ちつつ凹凸をつけるかが技術のいるところです。ミクロン(1000分の1ミリ)単位の緻密な作業ですが、削るのはとにかく好きなので楽しかったですね。
由井研究室は、他大学との合同研究が多いのも魅力です。私の研究でも、防衛大学の機械を使って実験させてもらいました。他大学の先生や学生と意見交換をすると、自分では全く思い付かないようなアイデアをいただいたりでき、とても勉強になりました。
卒業後は、故郷の兵庫県にもどって工業高校の教師になるつもりです。
最初は企業に就職するつもりで就活をし、すぐに内定もいただいたのですが、こんなに簡単に自分の人生を決めてしまっていいのだろうかと、あらためて自分のやりたいことを見直しました。するとやっぱり原点は旋盤ラブにいきつく。「手を動かしてものづくりをする」ことが私の原点だと気づきました。また、人から話を引き出したり、人に教えることも好きだと気づき、ものづくりと人に教えることの両方ができる、工業高校の教師という職業にたどりつきました。
大学に入った頃は、漠然と「世の中のためになるものづくりがしたい」と考えていましたが、4年間の学びの中で、漠然としていた思いがだんだんはっきりしてきました。今は「ものづくりを通して、自信のある生徒を育てられる教師になりたい」と思っています。