子どもの頃から自動車が好きだったので、理系の大学に進学しようと漠然と思っていました。
神奈川大学を選んだのは家から近いという消極的な理由で、入学してから勉強も実習もあまり真剣に取り組んできませんでした。旋盤や溶接の実習は、「頭では理解していても、実際にやってみると難しいな」くらいの記憶しかなくて…。
4年生になってロケットのエンジン開発に携わるようになると、必要な知識が1、2年次の授業や実習の中にあることが多くて、その都度学び直す、ということを経験しました。「真剣に向き合っておけばよかったな」と少し後悔しています。
3年生のときにいろいろな研究室を見学して、4年生からどの研究室に進むかを決めるのですが、第一希望の自動車関係の研究室は競争率が高くて入れず、高野敦先生の航空宇宙構造研究室に入りました。不本意な選択ではあったのですが、運命の出会いとでもいうべきか、この研究室に入ったことが転機になりました。
航空宇宙構造研究室では、宇宙ロケット部という学内プロジェクトと合同でハイブリットドロケットの開発を行っています。僕はこれまであまり積極的な学生ではありませんでしたが、どうせやるなら一番難しいことをやりたいと思い、志願してエンジン担当になりました。
ハイブリッドロケットの開発は過去の先輩から代々引き継いできたもので、2019年の飛翔実験ではエンジンが破裂して失敗。この時のデータを解析して失敗の原因をつきとめ、エンジンを改良し、湘南ひらつかキャンパスで燃焼実験を繰り返しました。
ハイブリッドロケットは、燃料としてプラスチックと液体の酸化剤を使う次世代型のロケットです。プラスチックの燃料は3Dプリンタで作ることができ、安全性が高いうえに低コストでできることがメリット。
でも、作るのに時間がかかるので、実験の前には朝早くから夜遅くまで研究室にこもりきりの日々でした。辛い作業でしたが、ものすごい勢いで燃焼するエンジンを見ると「自分はすごいものを作っているんだ」と感動しましたね。
複数のタイプのエンジンで燃焼実験を繰り返し、僕が担当した外ネジ式エンジンが採用されて、いよいよ秋田県の能代市で飛翔実験を行うことになりました。
飛翔実験の決行は9月19日。6日前から現地に乗り込んで機材を運び入れ、発射台や機体の組み立てなどの準備を行いました。発射の前日は夜通しの作業となったので疲労困憊。2019年の失敗以来、3年ぶりの飛翔実験であり、これまでの先輩の苦労の積み重ねの上、やっとここまでこぎつけたので、失敗は許されません。僕は発射コントローラの操作を任されていたので責任重大です。手順を間違えないよう練習しましたが、さすがに緊張しました。
朝6時。ものすごい炎と轟音を轟かせてロケットが打ち上げられました。エンジンは破裂することなく全長4mのロケットが空高く上がっていきます。一瞬ほっとしたのですが、実験はそこで終わりではありません。切り離された先端の分離機構部のパラシュートが開いて海に着水するのを回収できて初めて成功といえるのです。無事回収できることをひたすら祈りながら空を見ていました。
結果的に、機体は回収できませんでした。みんなは喜んでいましたが、僕は手放しには喜べませんでしたね。でも、飛翔高度10.1kmという日本新記録を達成できたことは誇りに思います。
卒業後は大学院に進学し、ハイブリットロケット開発を継続する予定です。前回は、先輩が残したデータや設計図を引き継いで開発をしてきましたが、次は僕が設計から担当することになります。責任重大ですが、すごくワクワクしますね。
航空宇宙機構研究所の目標は、超小型の人工衛星を打ち上げること。そのために、より推進力の強いエンジンの開発が必須です。僕の代では無理かもしれませんが、後輩にバトンをつないで、最終的には高度100km到達を目指して開発を続けていきたいと思います。
ロケット開発には多額なお金もかかっていますし、1人ひとりが役割を持って作業をしています。実験の日程もしっかり決まっているので、1人でも欠けたり遅れたりすると予定通りに実験を行うことができません。そのため研究室では、自分の仕事に責任を持ち、時間通りに作業を進めることが求められました。厳しいと感じることもありましたが、社会に出てからも必要なスキルが身についたと思います。
神奈川大学には研究力の高い先生がたくさんいますし、日本記録を樹立できるだけの開発力があります。僕は入学当初は決して真面目な学生とはいえませんでしたが、先生方や先輩たちからたくさんのことを教えられ、自分のやりたいことを見つけることができました。将来は世界に通用するエンジニアになりたいと思っています。
「まだやりたいことがわからない」という人も、神奈川大学での学びの中できっとやりたいことが見つかります。心配しないでチャレンジしてほしいと思います。